「 迎山しほ 」ってどんな人?
Profile
1975年 加古川市生まれ
父方は稲美町印南がルーツで代々加古川市・加古郡・明石市を中心に造園業を営んでおります。母方は加古川市上荘町がルーツで石材を取り扱っておりました。そんな家の長女として生まれ、7人家族の中で育ちました。写真のお宮参りは日岡神社にて。1988年 明石市立二見小学校 卒業
喘息持ちでしたが長距離走が得意でした。習い事はピアノ、歌、油絵など。ミュージカル劇団にも長く所属していました。が、その後芸術的な才能は全く開花することはありませんでした。クラスメイトにはNHKのニュース番組でおなじみ高瀬アナウンサーも。1994年賢明女子学院中・高等学校 卒業
姫路城の中堀内にある女子校に6年間通いました。プールがないのが私には魅力の一つでした。クラブ活動は茶道、華道をかじりながら、6年間ESS部に所属し英語演劇をやっていました。中学3年生の時にはニュージーランドのハミルトンに短期留学。ホームステイも経験しました。勉強は理数系が全くダメでいつも補習組でした。親から東京の大学を勧められるも関西の2校しか受験せず、運良く合格しました。1998年同志社大学法学部政治学科 卒業
京都での自由気まますぎる1人暮らしが始まるも、その冬に阪神淡路大震災が発生。ボランティア活動をしながら、‘形あるものには限りがある’ということを深く心に刻んだのを覚えています。4年間、学業は疎かながら社会勉強はしっかりとしました。家庭教師、ホテル接客、イベント運営、茶摘みなどのアルバイトも経験しました。就職活動は冬の時代。目指したマスコミ職種は軒並みご縁がなく、当初縁遠いと思っていた金融業界の内定を頂きました。1998年(株)富士銀行 入社
時は日本版ビッグバンの最中。大手金融機関の破綻が相次ぎ、都銀の合併が繰り返されるという金融業界にとって激動の時代、6年間銀行に勤務しました。2000年問題の対応やみずほ銀行への統合過程などが印象に残っています。一貫して融資・外為業種を担当し、特に不動産融資についてはエキスパートになるべく懸命に勉強しました。銀行員はとかく会社人間になりがちと言われますが、茶道やジャズボーカルを習い、市民活動にも取り組むことで、たくさんの人に刺激を頂きながら充実した銀行員生活を送りました。2004年 退社し結婚、その後政治活動に関わる
税理士の夫と結婚。束の間の専業主婦を満喫するも、銀行員時代のご縁から兵庫10区を拠点に政治活動をする岡田康裕さん(現・加古川市長)のお手伝いをすることに。 これが今に繋がる一つの大きなきっかけとなりました。2009年に衆院選に初当選されるまで関わらせて頂きました。2009年 長男を出産
仕事をしながら足かけ4年の治療を経て母となりました。無事に生まれてきてくれた時、これまでの人生で一番の喜びに満たされました。待望の子供が誕生し、24時間べったり一緒にいたい!と思っておりましたが、、、2010年 兵庫県議会議員選挙に挑戦を決意
出産から1年。幸せや喜びを感じながらも子育てに悪戦苦闘する中で、自分が経験した子供を持つことの困難さや子育て支援のあり方について考えていたところ、政治の世界に飛び込む縁が巡ってきました。相当に悩みました。が、家族の理解と協力もあり、『暗い暗いという前に自分で灯りをつけよう』と大きな挑戦を決意しました。2011年4月 加古川市選挙区より16815票を頂き初当選
これまでに事務方、支援方として選挙には何度も関わっていましたが、立場変われば大違い。自分の弱さや周りの人の温かさが身に沁みた濃密な期間でした。この間、あの東日本大震災が発生し、選挙どころではないという空気も流れる中で大変難しい選挙戦をしいられましたが、ご支援頂いた皆さんのおかげで初当選させて頂きました。2011年6月11日 任期開始
議会会派副幹事長、健康福祉常任委員会所属、まちづくり審議委員、宅建協会加古川支部顧問、子育てNPO法人理事、保育園父母会会長所属議連:文化振興、スポーツ振興、水産振興、私学振興、東播磨道路推進、播磨臨海道路推進